陸前高田さくらプロジェクト事務局長の小野隆夫が2020年12月26日に他界致しました(享年74歳)。協力者の皆様、ボランティアに参加くださった皆様、寄付をくださった皆様など多くの方からご支援、ご厚誼を賜り約10年間続けることができました。誠にありがとうございました。この場を借りて心より感謝申し上げますと共に、陸前高田さくらプロジェクトの活動は終了とさせていただくことをご報告致します。
幣プロジェクトの口座に残った寄付金116,262円につきましては、現地の協力者の方々と共に桜の手入れなどを引き受けてくださった村上育朗氏(幣プロジェクト顧問)へ2021年4月7日に譲渡させていただきました。
陸前高田をはじめ、東北の地に植えられた桜が後世に根づき、現地に暮らす方々や訪れた人を楽しませてほしいというのが小野隆夫の願いでした。当時の天災、人災が語り継がれるその片隅に桜が生き続け、見る人の心を朗らかにしてくれることを願って止みません。
幣プロジェクトに関わってくださった全ての方へ心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
2021年5月18日 小野香子
2011年3月11日、地震に続く大津波によって、陸前高田市は壊滅的な打撃を受けました。市の中心部をなす平野部はもちろん、沢を駆け上った津波によって、気仙川流域では河口から7キロ地点までが一瞬に瓦礫と化しました。
死者・行方不明者は2400人、家屋を失って避難を余儀なくされた人は1万6500人、震災時の人口が2万3000余であったことからみても、被害の大きさがお分かり頂けると思います。
最大で1.28メートルといわれる地盤沈下によって、海岸線から400メートルが今も水没し、高田松原は一本を残して全滅しました。国定公園の指定をうけた景勝・高田松原は、防潮林として350年の歳月をかけて市民が守り育ててきたものでした。
1960年のチリ津波の際には一部決壊したものの、見事に回復しました。広田湾に面して弓なりに続く2キロ7万本の松原は、市民の誇りであり歴史であり貴重な観光資源でもありました。津波は、街の人々が長い時間をかけて営々と築き上げてきた物を一瞬に奪い去りました。
震災の1カ月前に就任したばかりの戸羽太市長は、ご自身も奥さんを亡くされ、市職員の4分の1を失うという困難な状況の中で復興の陣頭指揮をとっています。その戸羽市長が週刊誌での阿川佐和子氏との対談で、「街を修理するのでなく新しい街をつくる」「心配してくださった世界中の人に、あの陸前高田がこんなすばらしい街になったといわれるような街にする」と悲壮な決意を述べています。そして対談の最後に、「この街を桜でいっぱいにしたい」といっています。
これを受け、私たち陸前高田内外の有志は「陸前高田さくらプロジェクト」を立ち上げました。桜を愛し被災地の復興を願う全国の皆さんに募金を呼びかけ、陸前高田の山野に10年間にわたって、街の人々とともに植樹をしていこうと考えています。高田松原を失った街の皆さんと共に、美しい街を取り戻していきたいと考えています。
高齢化率35パーセントという現状を考えれば、復興は困難を極めることが予想されます。私たちは、その険しく長い道のりを、全国の心ある人々とともに伴走していきたいと思います。小さな桜の苗木が復興の足取りとともに生長し、時に道を失うことがあれば、花あかりが復興へのともしびになることを願ってやみません。
当プロジェクトは、再生復興の願いをこめて、陸前高田の山野に10年間にわたって桜の植樹を行ないます。場所、本数などは市と協議して行ないますが、少なくとも亡くなった方の数を植えていきたいと考えています。
植樹は基本的に年に一度、広くボランティアを募って行ない、市民の皆さんと交流を深めていただき、息の長い支援をお願いしたいと考えます。